月偵察軌道船・月クレータ観測探知衛星

このコーナーでは2009年6月18日に打上げられた月偵察軌道船(LRO:Lunar Reconnaissance Orbiter)および月クレータ観測探知衛星(LCROSS:エルクロス:Lunar Crater Observation and Sensing Satellite)の記事を掲載しています。月偵察軌道船のミッション、測定機器などはトップのページを参照してください。なお記事を読み易くするために地名をカナ読みに置き換えています。“「読み」が正しくない”ことも想定されますのでご承知置きください。なお、はっきりしないものには原名を添えてあります。



<アポロ13号のブースタのインパクト>  3月30日

NASA/GSFC/Arizona 州立大学
4月、アポロ13号のサターンVが月に向けて発射台を離れた。サターンロケットは3段の打上システムから成っていた。打上後、打上ロケットの第1段と第2段は地球に落下し、第3段(S-IVB)はドッキングしたアポロ・コマンド・モジュールとルナ・モジュールを地球軌道から月の軌道へ推進するために使われた。消費されたロケットブースタは後にコマンド・モジュールから切離され月に衝突した。ロケットの電波信号の追跡から、月のインパクトの場所とインパクトの時間は良く分かっていた。

Credit: NASA
<右図>: 1970年4月14日、アポロ13号のサターン IVB の上段が北緯 -2.55 度東経 -27.88 度の既知の海の北で月に衝突した。直径約30メートルのインパクトクレータが「月偵察軌道船カメラ」の狭角カメライメージに明瞭に見られる。

S-IVB ステージによるインパクトは1969年~1977年に月面で運用されたアポロ地震ステーションネットワークのためのユニークな補正信号を提供した。ロケットのインパクトが分かっていた時刻と場所で起きたので地震波の速度特に月の地殻の上層は直接測定できた。

<左図>: サターンVの第3段が統合のために準備される。

<右図>: ディジタルユニット(DU)のアポロ12号の地震ステーションで記録されたアポロ13号 S-IVB インパクト震動記象。この三つのトレースは長い波長での地面の動きの三つの直角のコンポーネントの信号を示している。矢印は初期 p と、より遅い二次的な s 地震波の到着を記録している。

アポロ13号ミッションの時には5ヶ月前に配置されたアポロ12号の地震計のみが使えた。 S-IVB インパクトはこの地震ステーションから135キロメートルの距離で起きた。

<右図>: アポロ12号の地震ステーション。地震計は到着する地震の波を検出するために地面の動きのレベルを監視している。この装置(左)は大きな熱ストレスを生じさせる月面の様々な温度に対して金属フォイルによって防御されている。

「月偵察軌道船カメラ」チームの分析は今彼らが予測したエリアでロケットインパクトに関連するクレータを確認した。正確な月偵察軌道船の軌道と「月偵察軌道船カメラ」の強味によって今ではロケットインパクトの座標と地震ステーションからの距離を数百メートル内に更に正確に決めることが可能である。この正確なインパクト座標は月の中とその内部構造の地震波伝播の改良されたモデルのために地震の尺度修正データの再分析を保証するかもしれない。この地震計ネットワークは 13,000 を超える地震を記録し、アポロミッションのある最も重要な科学結果を届けた。

Mar 23, 2010   

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<中心の入江(Sinus Medii)の平原のサーベイヤ6号>  3月29日

地平線上8度で18メートル長の太陽の影を投げるサーベイヤ6号
Credit: NASA/GSFC/Arizona 州立大学
サーベイヤ宇宙船は月を探査するために宇宙飛行士達が使うであろうシステムを技術者達が設計するのに役立てるために月面の特性を示すように設計された。月に向けて七つのサーベイヤが打上げられ五つはランディングに成功して有益なデータを送り返すことに成功した。サーベイヤ1号は1966年5月に着陸し、シリーズの最終ミッションであるサーベイヤ7号は1968年1月に着陸した。

サーベイヤ6号は1967年11月10日に中心の入り江(Sinus Medii:北緯 0.5 度、東経 358.6 度)のほぼ月の前面の真ん中に着陸した。そのキー実験の一つは着陸エリアがサーベイヤ5号で測定された地表と類似した玄武岩であることを示したアルファ散乱検出器(alpha scattering detector)での地表の化学組成の測定であった。サーベイヤ6号はアポロ計画が必要としたデータの収集を完了し、更に高い科学の関心であったサイトにサーベイヤ7号を送ることを可能にした。

サーベイヤ6号宇宙船は2週間の月の夜から生き残ったが、接触が1967年12月14日に再開された後顕著なデータは返されなかった。

クレータの縁に投げ出された近くの岩を横断して見るサーベイヤ6号のパノラマ
Credit: NASA
サーベイヤ6号によって撮られた二回目のパノラマ
Credit: NASA
NASAの技術者達は計画上の2週間のミッションの終り近くに数秒間サーベイヤ6号のエンジンに点火を指令した。宇宙船は地表上約4メートル上昇し、オリジナルの着陸地点から約 2.5 メートルに着地した。これは月面からの最初の打上げの成功であった。そして恐らく月面への唯一の宇宙船の2度の着陸であった。

照明に関する注意。 月の遅い回転のために月偵察軌道船が通過するサイトの太陽の入射角は常に変わっている。サーベイヤのような小さな地形を確実に確認する強力なツールを供給することによって、時間によっては「月偵察軌道船カメラ」は夜明けから正午あるいは夕暮れまで様々な日照の下での地形を撮りその地域の地質の微細を十分に理解することができる。

サーベイヤ1号は二つの非常に異なる照明の下で「月偵察軌道船カメラ」によって描かれた。背景のイメージは地平線の上太陽が67度で獲得された。サーベイヤは矢印で示され上の差し込みに拡大されている。下の差し込みは地平線からの太陽が14度で描かれた同じサーベイヤを示す。
Credit: NASA/GSFC/Arizona 州立大学
正午に向かって撮られたイメージは反射率において微妙な差を強調し、一方地平線に対して太陽が低い時にとられたイメージは地形を見せている。我々は高い太陽イメージから降下エンジンからの爆風が様々な度合いで地表の反射率を局所的に変えた全てのランディングサイト(アポロ、サーベイヤ、ルナ)を見ている。この影響はおそらく異なるサイズのダスト粒子を並べ替えるエンジンの噴煙に起因している。この影響の大きさは高地と海では異なるかもしれない。

Mar 23, 2010   

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<サーベイヤ5号:ホール・イン・ワン>  3月25日

直径10メートルのクレータに座るサーベイヤ5号:幅約960メートル。
NASA/GSFC/Arizona 州立大学
サーベイヤ5号は悲惨な着陸であったに相違なく1967年9月に静かの海に着いた。

訳者注:
サーベイヤ計画
NASAが有人宇宙船アポロを送る前に調査と実験のために計画した月に送った無人宇宙船。1号から7号までがあり5号は1967年9月3日打上。

地上に着いたときの写真は宇宙船は小さなインパクトクレータの斜面に到着したことを明らかにした。フィールドの写真を含むイメージの注意深い分析の後、サーベイヤチームはローカルな斜面が 19.7 度であると判定することができた! 

サーベイヤ5号の拡大イメージ
NASA/GSFC/Arizona 州立大学
その宇宙船は何千もの詳細な写真を送り返し土の化学組成を測定して割り当てられた作業の全てを遂行した。サーベイヤ5号が着陸した後2年以内にニール・アームストロングとバズ・アルドリンがルナ・モジュール、イーグルを100キロメートル以内に着陸させ、サーベイヤで測定したものと似た化学組成を持つ岩を持ち帰った。

Mar 22, 2010   

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<ソビエト連邦の月面車>  3月24日

1970年11月にルノホート1号月面車を届けたソ連のロボット着陸船ルナ17号は雨の海に依然として座っている。
NASA/GSFC/Arizona 州立大学
驚くべき宇宙船が1970年11月17日に月面に穏やかに定着した。それは初めての成功したロボット月面車ルノホート1号を運んでいた。続く10ヶ月の間ローバーは合計10キロメートルを旅してソビエト連邦のオペレータによって動かされた。比較として火星探査ローバーオポチュニティは6年のオペレーションで約12キロメートル旅した。

ルナ17号着陸船の拡大、ルノホート1号のランプのスタートおよび着陸船を囲む軌跡に注意!
ルノホートローバーは長さ約 2.3 メートル高さ 1.5 メートルであった。
ローバーは着陸後月面のランプを下り八つの車輪をテストした。ローバーはその日のうちに太陽エネルギーによって駆動された。夜は駐車し摂氏マイナス150度の冷たさから生き残るためにポロニウム210放射性同位元素ヒータからの熱エネルギーに頼った。

この勇敢なローバーは、レゴリス(土)の組成、その地域の地形のクローズアップの視界、レゴリスの重要なエンジニアリング測定に関する価値あるデータを送り返した。

2年後の1973年1月にルナ21号がアップグレードされたルノホート2号を届けてレ・モニエール(Le Monnier)クレータに到着した。それは更に高い解像度のカメラと改良された科学装置を誇示した。それは前任者のようにその日のうちに地球の技術者達によって駆動され夜は駐車された。ルノホート2号は約4ヶ月間月を探査した。不幸にもこのミッションは恐らくローバーが土をかぶりキーコンポーネントが覆われた過熱のために早い終焉をもたらされた。

最終の駐車場所のルノホート1号月面車
この二つのルノホートは他の世界の地表のロボット探査の価値を示した。それは次のロボットローバー、ソジャナー(NASA)が他の世界(このときは火星)をドライブする24年前であった。40年後の次の月面車は2013年にインドとロシアのジョイント・ベンチャーが予定されている。

最近「月偵察軌道船カメラ(LROC)」科学オペレーションセンターは予想しなかった訪問者 Ruslan Kuzmin を受けた。 彼はルノホートミッションに実際に参加した科学者の一人であった! 我々は地表のハードウェアの「月偵察軌道船カメラ」の写真を彼に示すことができ、彼は彼の「古い友」を見るついてのいくつかの彼の考えを書き下すのに十分に親切であった。

以下は Ruslan Kuzmin の感慨:

ルノホート2号ローバー、その軌跡が南に向いているのに注意! その拡大はローバーの形を示すために特に広げられている。
「探査の4ヶ月37キロメートルの旅の後のロボット月面車「ルノホート2号」の最後のそして永遠の駐車場とともに「着陸船「ルナ21号」のプラットフォームの優れた「月偵察軌道船カメラ」イメージを示して戴き誠に感謝する。

月面のルノホート2号とその軌跡のイメージを見ることは私にとっては特別な感慨がある。ルノホート2号のオペレーションの時私はミッションに参加していた若い惑星論者であり、私はローバーのテレビカメラで撮られたイメージを分析した。実際にこれは私が関わった最初の成功したミッションであった。ルノホート2号が晴れの海の東端のクレータ Le-Monier の中を4ヶ月間旅した時は37年前(前世紀)であった。

Ruslan Kasmin の好意によるイメージ:最後のルノホート2号パノラマの断片。
ルノホート2号ローバーの「月偵察軌道船カメラ」イメージを見ている間に、私は私の科学キャリアの最も早期のページの記憶の上にわき出た深い内部の興奮を感じた。何十年も前に運用された多くの米国とソビエト連邦の他の着陸船とともにルノホート2号が「月偵察軌道船カメラ」によって今非常に明瞭に描かれ、世界中の何百万もの人々によって見られるであろうことに非常に興奮する。この月偵察軌道船カメラは同時に我々の目を月面の近くにもたらし、また歴史的なミッションからの開拓の結果を我々に思い出させる疑いなく素晴らしい機器である。」

Mar 18, 2010   

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<ソビエト連邦の月のサンプルリターンミッション>  3月23日

1972年2月21日にルナ20号は豊かの海と危難の海の間のでこぼこの高原にソフトランディングした。翌日、サンプル回収カプセルは55グラムの月の土を運んで発射された。ルナ20号の降下部分がまだ「月偵察軌道船カメラ」狭角カメライメージに明瞭に見える月に静かに座っている。
NASA/GSFC/Arizona 州立大学
ルナ16号サンプルリターン宇宙船。
ルナ20号降下ステージの拡大。サンプリングアームの影に注意。
ソビエト連邦は米国との冷戦の一部として3回のロボットサンプルリターンミッションを実行し成功した。最初のミッション、ルナ16号は、米国のアポロ12号と14号の有人の着陸の間の1970年9月に、豊かの海から少量のサンプル(101グラム)を持ち帰った。1年半後の1972年2月にルナ20号がアポロニアス(Apollonius)高原領域から55グラムの土を持ち帰った。

ルナ16号と20号は設計とサンプリング方法が非常に類似していた。サンプリングアームの終端のドリルが地下数十センチメートルから土を集めた。アームはその後サンプルを宇宙船の上のリターンカプセルの中に置いた。今回のNASAの月偵察軌道船(LRO)の「月偵察軌道船カメラ(LROC)」イメージのルナ20号と見られる影はおそらくサンプリングアームである。ルナ20号のサンプルは2ヶ月後に米国のアポロ16号の宇宙飛行士達によって Cayley 平原(東経15度30秒、南緯8度58秒)からサンプリングされたものと類似した鉱物を含んでいた。

1974年10月にルナ23号が危難の海に降ろされたが技術的な困難さがサンプルを得ることを妨げた。ソ連は諦めることなく再び1976年8月に試み、この時ははるかな良運を得た。ルナ24号はより良いセクションと170グラムの大きなサンプルを集めるために月の土の中2メートルを超えるオーガー(訳者注:地面に穴をあける機械)が設計されていた。ルナ23の24の場所は互いに数百メータの中と報告されている。我々は新しい狭角カメライメージから二つの着陸船の間の距離が約 2400 メートルであると正確に測定できる。しかしながら着陸船の絶対位置は約500メートルの確度でのみ知られている。月偵察軌道船ミッション天体位置表が改善されたとき、ルナの絶対的位置が100メートル以内まで分かるだろう。二つの狭角カメラの高い太陽イメージの合成写真をスクロールしてルナ23号と24号を見つけよう。ルナ24号の近くのいくつかの非常に明るいピクセルを捜しなさい。それらは上昇ステージが地球に向かって発射されたとき降下ステージから吹き飛ばされた素材の小さなピースであるかもしれない。

直径60メートルのクレータの端に座るルナ24号
NASA/GSFC/Arizona 州立大学
成功したソ連のルナサンプルリターンミッションは少量を持ち帰ったが月の3箇所からの重要なサンプルである。月の探査のこの新しい時代にいくつかの国がルナ24号以来の最初のソフトランディング宇宙船、近い将来の月への軟着陸を計画している。インドとロシアは2013年にチャンドラヤーン2号と呼ばれる着陸船とローバーを打上げる予定である。中国の Chang'e 月探査プログラムは2013年に軟着陸を計画している。

Mar 16, 2010   

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<レーザ高度計が見た月の向こう側>  3月18日

NASA/GSFC
月偵察軌道船の月軌道船レーザ高度計(LOLA:Lunar Orbiter Laser Altimeter)の地形データが月の向こう側の激しいインパクトの歴史を明らかにしている。科学者達は月の地殻の年齢や太陽系の早期のインパクトに関する情報を明らかにする、月面のインパクトクレータと盆地の分布を確認しマップするために「月軌道船レーザ高度計」データを使っている。

Mar 12, 2010   

大判サイズのイメージはありません。



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